2010年11月30日

クリスマストピックス・贈り物@




 クリスマストピックス・贈り物@



 私たち日本人は、無宗教だと言われます。しかし、正月、子供の誕生、結婚や葬式に際して、宗教行事を行なわない人は少ないのではないでしょうか。

 神や仏に金など出せるかと思う人でも、初詣に行けば、お賽銭を入れずに手を合わせるのは気が引けるでしょう。それで、正月が終わった後、有名な神社などで、賽銭箱を開けてその額を数えるのがニュースになったりするのです。

 ところで、自分が何に対してお金を入れているのか、どれくらいの方が自覚しているでしょうか。家内安全、商売繁盛、受験、結婚、昇進など、いわゆるご利益を願っているのでしたら、たいていの人は、大変わずかな額で大きなものを得ようとしているのに、気がつくでしょう。過去一年無事であったこと、今幸せであることに感謝すると言う場合、人に知られていないけれど、自分で犯した罪に良心が咎めて、神仏に許してもらおうと思う場合も、同じです。

 それらは、お金で買えないほど大きな出来事です。たとえ、一万円札を入れても、やはり、小銭で間に合わせていると言われても、仕方がないのではないでしょうか。

 
 友人の話ですが、誘われてある新興宗教の集会に行くと、最初から千円、五千円、一万円と献金の額が決まっていたそうです。名前を書いて小さなしるしを買うらしいのですが、「これはどういう意味だ」と聞きますと、教祖があとでそのしるしと名前を見て拝んでくださるとか。もちろん、一番高い額が一番大きなご利益を約束しているのです。
 これも、ヘンだと感じるのが、「健全な」感覚ではないでしょうか。



 
 旧約聖書のレビ記には、ささげ物の規程が細かく記されていて、その目的や手続きとともに、ささげ物の種類が書いてあります。ふつうは牛か羊などの傷のないものなのですが、羊を買う余裕のない人は、山鳩二羽、または家鳩のひな二羽と定められています。
 それさえ、手に入れることができない人は、小麦粉をささげるよう定めています。
 これは、人の経済状態を配慮したもので、なかなか思いやりのある規定です。 このような規程があれば、同じ罪の贖いのためでも何かの祈願でも、貧しい人もお金のある人同様、祭司に祈ってもらえます。

 旧約聖書には、このささげ物に対する記述が、おびただしく記されています。聖書を読もうとして、まず参ってしまうのは、このような規程が延々と出てくることでしょう。
 これは、イスラエル人が神との関係を、どのように考え、取り扱っていたかの具体的な現われでもあるのです。


 しかし、これだけ念の入ったささげ物の記述・規程ですが、それでもじつは、神に対する罪の贖い、神の前に出て祈願するのに、とおく及ばないものでした。

 
 

                     つづく




posted by さとうまさこ at 13:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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