2010年12月01日

クリスマストピックス・贈り物A




クリスマストピックス・贈り物A



 旧約聖書を読むと、私たちは私たちの創造主である神に背いたために楽園を追放され、いわば悪魔が自由に跳梁跋扈している世界で苦しんでいる、それが現実のさまざまな苦しみなのだとわかります。悪魔など、出し抜いてしまえばよいと理性では思っても、神の守りの中から出てしまった私たちは、良いことをするつもりでも悪いことをしてしまう罪びとなのです。
 
 これはとても辛いことです。後ろめたい失敗をした子どものように、親の愛をもう一度得て、そのふところで平安を取り戻したいのですが、親の顔を正視できない。近づくのもはばかられる。それで、ちょっと親から離れて、いそいで庭掃除などしたことが、私にもあります。
 親は親で、言いつけを破った子どもを許せないのですが、でも、何とか許して抱き寄せてやりたいと思っています。ただ、あいまいなところで、「いいよ」と許すと子どもが、なにが悪かったのかもわかりません。

 

 
 イスラエルの人たちは、大変まじめに神礼拝をしていたのです。律法に書いているとおり、一年に一度神殿に行き、羊や鳩、小麦を捧げて祭司に祈ってもらっていました。

 もちろん、ものを捧げるだけでは足りないとわかっていました。神様を礼拝し、安息日を守り、隣人を愛するよう努めてもいました。良い行いをして、神様に喜んでいただこうと、十戒とその細則にあたる掟を守ろうとしたのです。


 それでも十分ではありませんでした。
 なぜなら、人間が罪を犯してそれを許していただくためには、身代わりに羊を殺したのでは足りないからです。羊の数を十頭に増やしても百頭にしても同じです。人間ひとりの価値にも及ばないのです。

 結果として、イスラエル人はますます規則づくめになり、行いを厳しくする律法主義は、人がどうしても完璧にはなれないことを、あらわにするのでした。

                   つづく






posted by さとうまさこ at 13:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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